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東京高等裁判所 平成3年(ネ)4576号 判決

控訴人

齊征建物株式会社

右代表者代表取締役

齊藤征之

右訴訟代理人弁護士

酒井憲郎

右訴訟復代理人弁護士

北村晴男

被控訴人

有限会社平山商事

右代表者代表取締役

平山定夫

右訴訟代理人弁護士

野村政幸

主文

一  原判決中被控訴人の請求を一〇四一万八〇三四円及びこれに対する平成三年一月一〇日から完済に至るまで年六分の割合による金員を超えて認容した部分を取り消す。

右部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

二  控訴人のその余の本件控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを三分し、その二を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

第一  申立て

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  主張

一  被控訴人の請求原因

1  控訴人は不動産の賃貸等を業とする株式会社であるが、ケイアンドアールトレーディング株式会社(以下「訴外会社」という。)との間で、平成二年七月二三日、控訴人を貸主、訴外会社を借主とし、存続期間を同月二〇日から平成四年七月一九日までの二年間、賃料等を一か月五二万五三〇〇円(賃料四五万円、共益費六万円及び消費税一万五三〇〇円)とする別紙物件目録記載の店舗部分(以下「本件建物」という。但し、その賃貸面積は同目録記載の契約時の100.16平方メートル)の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結していたところ、本件賃貸借契約は、本件建物の賃貸面積が右目録記載の変更後の110.08平方メートルに増加したのに伴い、平成二年九月分以降の賃料等が一か月五七万七八三〇円(賃料四九万五〇〇〇円、共益費六万六〇〇〇円及び消費税一万六八三〇円)に増額された後、次のいずれかの事由により既に終了し、訴外会社は控訴人に対し、本件建物を明渡済みである。

(一) 控訴人の債務不履行を原因とする解除

本件賃貸借契約では、毎月の賃料等を前月の二五日限り支払う旨の約定であったが、訴外会社は、平成二年一一月分及び同年一二月分の賃料等の支払を遅滞したため、同年一二月五日、右二か月分の賃料等を控訴人の許に持参したところ、控訴人から、その受領を拒絶されたうえ、反対に、本件建物の明渡しを求められた。

しかし、控訴人の右の受領拒絶及び明渡請求は賃貸人の債務不履行というべき背信行為であるから、訴外会社は控訴人に対し、平成二年一二月二六日付け同月二七日到達の書面(以下「本件書面」という。)をもって本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(二) 控訴人及び訴外会社の合意による解除

仮に右解除に理由がないとしても、訴外会社は、前記のとおり平成二年一一月分及び同年一二月分の賃料等の支払を遅滞したが、これを理由に控訴人から本件賃貸借契約を解除されたことはなく、控訴人の右の受領拒絶及び明渡請求は、本件賃貸借契約を訴外会社との合意により解除する旨の申込みと解すべきものである。

そこで、訴外会社は控訴人に対し、本件書面をもって控訴人の右申込みを承諾する旨の意思表示をした。

2  訴外会社の造作買取請求と買取代金債権

(一) 訴外会社は、控訴人の同意を得て本件建物の床のフロアシート、カーペット及びタイル工事、壁の鏡及びクロス張り工事、フロント及びフロントサッシ工事、トイレ及び流しの設置工事等を行い、本件建物を自動車販売用のショールーム及び事務所として使用するために必要な設備(以下「本件設備」という。)を付加していたので、本件賃貸借契約の終了に際して、控訴人に対し、本件書面をもって本件設備に係る造作買取請求権を行使する旨の意思表示をし、その買取代金の支払を催告した。

(二) 被控訴人は、訴外会社から本件設備の工事を最終的に請け負ったものであるが、その請負代金は一二五〇万円、うち未払代金は一一五〇万円であって、本件設備の買取代金が一一五〇万円を下回ることはない。

3  訴外会社の敷金の差入れと敷金返還債権

(一) 訴外会社は控訴人に対し、本件賃貸借契約に基づく敷金として、契約締結時の平成二年七月二三日に四五〇万円、その後の同年一〇月三日に五六万円、以上合計五〇六万円を差し入れていた。

(二) 訴外会社は、本件賃貸借契約の終了に際して、控訴人に対し、本件書面をもって右敷金五〇六万円から平成二年一一月一日から本件賃貸借契約が終了した同年一二月二七日までの未払賃料等として一〇九万八三九〇円を控除した残額三九六万一六一〇円の返還を催告した。

4  被控訴人に対する前記各債権の譲渡

訴外会社は、平成三年一月九日、本件設備の買取代金債権及び敷金返還債権を被控訴人に譲り渡し(以下「本件債権譲渡」という。)、控訴人に対し、同月一〇日付け翌一一日到達の書面をもってその旨の通知をした。

5  よって、被控訴人は、本件債権譲渡を受けた前記各債権に基づき、控訴人に対し、本件設備の買取代金一一五〇万円と敷金の残額三九六万一六一〇円との合計一五四六万一六一〇円及びこれに対する訴外会社の本件書面が控訴人に到達した日の翌日である平成二年一二月二八日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する控訴人の認否

1  請求原因1の事実は、本件賃貸借契約の終了事由を除き、認める。本件賃貸借契約は、控訴人の債務不履行を原因とする解除又は合意解除によって終了したものではなく、訴外会社の控訴人に対する本件書面による解約の申入れによって終了したものである。

2  請求原因2の(一)の事実中、本件設備の具体的な内容は不知、その余は認める。同(二)の事実中、本件設備の工事代金の額は不知、本件設備の買取代金の額は争う。訴外会社が本件設備に係る造作買取請求権を行使し得るものであったとしても、その買取代金は三八四万円が相当である。

3  請求原因3の(一)の事実中、本件賃貸借契約の締結時に敷金として四五〇万円が差し入れられたことは認めるが、敷金の追加として五六万円が差し入れられたことは否認する。敷金の追加は四五万円を予定していたところ、その差入れがないまま本件賃貸借契約は終了したものであって、控訴人が訴外会社から受領した敷金は四五〇万円にとどまる。同(二)の事実中、控訴人が返還すべき敷金の残額は争う。

4  請求原因4の事実中、本件債権譲渡の事実は不知、本件債権譲渡の通知が控訴人に到達したことは認める。

5  請求原因5は争う。

三  控訴人の抗弁

1  訴外会社の造作買取請求権の放棄

本件賃貸借契約には、造作買取請求権を放棄する旨の特約(以下「本件放棄特約」という。)が付されていたから、訴外会社が控訴人に対し、本件設備に係る造作買取請求権を行使し得る余地はなく、本件設備の買取代金債権は発生していない。

2  訴外会社との間の譲渡禁止特約の対抗

本件賃貸借契約には、訴外会社は本件賃貸借契約に基づく一切の権利を第三者に譲渡してはならない旨の特約(以下「本件譲渡禁止特約」という。)が付されていたところ、被控訴人は、これを知って本件債権譲渡を受けたか、知らなかったとしても、そのことに重大な過失があったから、控訴人は、被控訴人に対し、被控訴人が控訴人に対する関係で本訴請求に係る前記各債権を取得し得ない旨を主張することができる。

3  訴外会社に対する反対債権による相殺

仮に控訴人が本件譲渡禁止特約をもって被控訴人に対抗することができないとしても、控訴人は、訴外会社に対し、次の各債権を有していたので、本件訴訟において、これと被控訴人の本訴請求に係る前記各債権とを対当額で相殺する旨の意思表示をした。

(一) 敷金償却分

一五二万九五五〇円

本件賃貸借契約では、賃貸借契約が終了した場合には、敷金から三か月分の賃料を償却し、その残額を返還することができると約定されていたから、控訴人は訴外会社に対し、敷金償却分として右三か月分の賃料(消費税を含む。)に相当する一五二万九五五〇円を請求することができた。

(二) 違約金三四六万六九八〇円

本件賃貸借契約は訴外会社の本件書面による解約の申入れによって終了したものであるが、本件賃貸借契約においては、訴外会社が期間内に解約を申し入れる場合には、控訴人に対し、六か月前に解約を予告するか又は六か月分の賃料等を支払う旨の約定があったところ、訴外会社の右解約の申入れは予告期間を置かないでされたものであるから、控訴人は訴外会社に対し、右約定に係る違約金として六か月分の賃料等に相当する三四六万六九八〇円を請求することができた。

(三) 未払賃料等

一二六万八三三六円

訴外会社は、平成二年一一月及び同年一二月の二か月分の賃料等合計一一五万五六六〇円の支払を遅滞していたところ、本件賃貸借契約では、賃料等の支払を遅滞した場合には、年一八パーセントの割合による遅延損害金を支払う約定であったから、右の二か月分の未払賃料等に対する各支払期から平成二年一二月二六日付け本件書面による解約の申入れから六か月が経過する同三年六月二五日までの遅延損害金は、右一一月分につき六万〇六七二円、同一二月分につき五万二〇〇四円、以上合計一一万二六七六円となるので、控訴人は訴外会社に対し、未払賃料等として、遅延損害金を含め、以上合計一二六万八三三六円を請求することができた。

四  抗弁に対する被控訴人の認否

1  抗弁1の事実中、本件賃貸借契約に本件放棄特約が付されていたことは認めるが、その効力は争う。

2  抗弁2の事実中、本件賃貸借契約に本件譲渡禁止特約が付されていたことを被控訴人が知っていたことは否認し、その効力は争う。本件譲渡禁止特約は、本件賃貸借契約が継続中の当事者間の信頼関係を維持することを目的とした約定であるから、本件賃貸借契約が終了した後までその効力が及ぶものではなく、また、仮に本件賃貸借契約が終了した後にもその効力が及ぶとしても、被控訴人は、本件譲渡禁止特約を知らないで訴外会社から本件債権譲渡を受けたものであって、そのことに重大な過失はなかったから、控訴人は本件譲渡禁止特約を被控訴人に主張することができない。

3  抗弁3の事実は否認する。控訴人が訴外会社に対して返還すべき敷金の残額は請求原因3の(二)に記載の三九六万一六一〇円である。

五  被控訴人の再抗弁(抗弁1につき)

本件放棄特約は、借家法六条に違反し、無効であるから、訴外会社の控訴人に対する本件設備に係る造作買取請求権の行使が妨げられることはない。

六  再抗弁に対する控訴人の認否

再抗弁主張は争う。

第三  証拠

証拠関係は原審記録及び当審記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  前提となる事実関係

1  本件賃貸借契約の締結とその終了

控訴人と訴外会社との間において、平成二年七月二三日、本件賃貸借契約が締結されたが、本件賃貸借契約は既に終了し、訴外会社が控訴人に対し本件建物を明渡済みであることは、本件賃貸借契約の終了事由が被控訴人主張の控訴人の債務不履行を原因とする解除又は控訴人及び訴外会社の合意による解除であったのか、控訴人主張の訴外会社の解約の申入れによるものであったのかを除き、当事者間に争いがない。

2  本件賃貸借契約の終了事由

(一)  成立の真正に争いがない甲第一号証、原審における証人黍野恭容の証言により成立の真正を認める甲第六及び第七号証、官公署作成部分の成立の真正に争いがなく、右証人黍野の証言によりその余の部分の成立の真正を認めることができる甲第二号証の一、当審における被控訴人代表者本人尋問の結果により成立の真正を認めることができる甲第一四号証、当審における控訴人代表者本人尋問の結果により成立の真正を認めることができる乙第五号証、右証人黍野の証言及び同被控訴人及び控訴人各代表者本人尋問の結果を総合すれば(但し、後記認定に反する部分を除く。)、次の各事実を認定することができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

(1) 訴外会社の代表者黍野恭容は、平成元年一一月ころ訴外会社を設立して自動車販売業を始め、同二年七月には展示販売用のショールームが必要となったため、本件賃貸借契約に基づき、控訴人から本件建物を賃借した。

(2) 訴外会社は、株式会社アーバン企画との間で本件建物を自動車販売用のショールーム及び事務所とするために必要な設備を付加する工事の請負契約を締結し、株式会社アーバン企画の下請業者の下請業者として被控訴人が工事を担当することになったところ、工事代金の支払をめぐって株式会社アーバン企画から被控訴人に至る請負・下請業者の間に紛争が生じ、被控訴人が株式会社アーバン企画及び中間の業者を排して訴外会社から直接に当該設備工事を請け負ったことにし、請負代金を一二五〇万円、そのうち未払代金を被控訴人が既に中間の業者から受領していた一〇〇万円を控除した一一五〇万円と取り決めた。

(3) しかし、訴外会社は、右事業の資金繰りにつき黍野が婚約していた女性の父親である小山秋男から協力を得る予定であって、本件賃貸借契約でも、同人が訴外会社のために連帯保証人となっていたところ、右婚約が解消され同人から協力を得られなくなったことなどから、資金繰りに窮するに至った。そのため、訴外会社は、平成二年一〇月一五日ころには被控訴人が前記工事を完成して被控訴人主張の本件設備を本件建物に付加したのに、請負代金を支払うことができないばかりか、控訴人に対する賃料等も同月二五日に支払うべき同年一一月分の賃料等、同年一一月二五日に支払うべき同年一二月分の賃料等の支払を遅滞するに至ったが、被控訴人において、本件設備の請負代金を回収するには訴外会社の事業を軌道に乗せる必要があるとの判断のもとに、訴外会社に対し資金的な援助をすることとなった。

(4) そこで、黍野は、同年一二月五日、被控訴人の代表者平山定夫を同行して控訴人の代表者齊藤征夫が経営する齊征工業株式会社の五反田営業所を訪れ、齊藤に対し、右滞納賃料及びこれについての遅延損害金等の支払の申出をし、平山も被控訴人が訴外会社の連帯保証人となってもよい旨を提案したが、控訴人は、訴外会社の右申出を拒絶し、反対に、本件賃貸借契約には、訴外会社が賃料及び共益費の支払を一か月分以上怠ったときには、控訴人が訴外会社に対してその支払を催告することなく、本件賃貸借契約を解除することができる旨の特約(以下「無催告解除特約」という。)があったことから、訴外会社に本件建物の明渡しを求めるに至った。

(5) 黍野は、更に同年同月二〇日、平山のほか、弁護士山本忠美ほか一名を同道して再び齊征工業株式会社の五反田営業所を訪れ、山本弁護士は、齊藤に対し、控訴人が前記特約を理由に本件賃貸借契約を解除したとしても効力を生じないなどと説明し、本件賃貸借契約の円満な継続を求めたが、齊藤の了解を得られず、折衝は物別れに終わり、訴外会社は、山本弁護士を通じ、控訴人の本件建物の明渡請求は賃貸借契約を合意で解除する旨の申込みであると受け止め、これを訴外会社が承諾することとして、本件書面をもって本件賃貸借契約の合意解除に応じる旨を通知し、これと同時に、本件設備に係る造作買取請求権の行使とこれに基づく当該設備の買取代金として一一五〇万円の支払及び控訴人に差し入れた敷金の返還を求めるに至った。

(二)  被控訴人は、本件賃貸借契約の第一の終了事由として、前記認定の訴外会社の本件書面による意思表示を賃貸人である控訴人の債務不履行というべき背信行為を原因とする解除の意思表示であったと主張するが、控訴人が訴外会社の提供した滞納賃料等を受領せず、訴外会社に本件建物の明渡しを求めたとしても、訴外会社は、以後、当該賃料等の履行遅滞の責任を免れるほか、更にこれを弁済供託することによって当該賃料等に係る債務も消滅させ、控訴人から賃料等の支払債務の不履行を原因として本件賃貸借契約を解除されて本件建物を明け渡す事態に至ることを容易に避けることができたのであるから、右の受領拒絶及び明渡請求をもって控訴人が訴外会社との間の信頼関係を破壊したものとはいえず、本件書面による意思表示を右解除の意思表示と認め得るか否かにつき検討するまでもなく、被控訴人の右主張は採用することができない。

しかしながら、控訴人は、前記認定の折衝に際して、訴外会社に本件建物の明渡しを求めているところ、本件賃貸借契約には、前記認定の無催告解除特約があったとはいえ、本件が当該特約を根拠に直ちに本件賃貸借契約を解除し得る場合であるとは認めることができず、訴外会社が資金繰りに窮し、現に二か月分の賃料等を滞納していたからといって、訴外会社が被控訴人の協力を得て滞納賃料等の支払の申出をし、適法に弁済の現実の提供をしていたことは前記認定のとおりであるから、控訴人が訴外会社の右二か月分の賃料等の不払いを理由として本件賃貸借契約を解除するためには、改めて相当期間内に支払うべき旨の催告をする必要があったというべきであって、控訴人の本件建物の明渡請求は、訴外会社との合意により本件賃貸借契約を解除する旨の申込みと解するのが相当である。

そして、本件書面による意思表示が控訴人の訴外会社に対する右合意解除の申込みを承諾した意思表示であることは前記認定のとおりであるから、本件賃貸借契約は、被控訴人が本件賃貸借契約の第二の終了事由として主張するとおり、控訴人及び訴外会社の合意による解除によって終了したものと認めることができる。

(三)  この点につき、控訴人は、本件書面による意思表示は訴外会社の控訴人に対する解約の申入れであると主張するところ、前掲甲第一号証によれば、本件賃貸借契約では、当事者双方に期間内に一方的に解約し得る権利が留保され、賃借人がその解約権を行使する(解約を申し入れる)には六か月前に予告するか、その予告に代えて六か月分の賃料及び共益費を支払うべき旨の約定があることは認められるが、訴外会社が本件書面をもって本件建物の明渡しを申し出たのは、資金繰りに窮していたという事情があったとしても、被控訴人の協力を得られる状態にあったことに鑑みれば、控訴人が前記認定の折衝に際して訴外会社に本件建物の明渡しを求めたことに呼応したものと認められるのであって、本件書面による意思表示が訴外会社が控訴人に対し一方的にした六か月の賃料及び共益費の負担を伴う解約の申入れであったとの控訴人の右主張を採用することはできない。

3  本件建物の明渡時期

訴外会社が控訴人に対し本件建物を明渡済みであることは前示のとおりであるところ、官公署作成部分の成立の真正に争いがなく、前掲証人黍野の原審証言によりその余の部分の成立の真正を認めることができる甲第四号証の一及び右証人黍野の証言によれば、訴外会社は控訴人に対し、平成二年暮れあるいは同三年一月初めには控訴人に本件建物の鍵を返還したこと、そして、本件債権譲渡の有無及びその対抗関係はともかく、同月九日には訴外会社から被控訴人に対し本件債権譲渡が行われていることが認められ、これと弁論の全趣旨とを総合すれば、遅くとも本件債権譲渡が行われた平成三年一月九日には訴外会社から控訴人に対し本件建物が明け渡されていたものと認めることができ、この認定を覆す証拠はない。

二  本訴請求に対する判断

1  本訴請求に係る各債権の存否及びその額

(一)  本件設備の買取代金債権

(1) 訴外会社が本件建物に本件設備を付加したことは、その具体的な内容を除き、当事者間に争いがないところ、前記一2(一)(2)の認定事実に成立の真正に争いがない甲第八号証、いずれも前掲証人黍野の証言により成立の真正を認めることができる甲第一〇及び第一一号証、いずれも本件建物の写真であることに争いがなく、右証人黍野の証言により被控訴人主張のとおりの写真であると認めることができる甲第九号証の一ないし一四、同第一二号証の一ないし一六、同第一三号証の一及び二、いずれも弁論の全趣旨により成立の真正を認めることができる甲第一五、第二四及び第二五号証を総合すれば、本件建物は、訴外会社が賃借する前には、床、壁、天井のコンクリート又はブロックが剥き出しの状態で、そのままでは建物として使用することができず、これを建物として使用するには、その用途が何であっても、建物としての基本的な設備から付加しなければならない状態であったことを認めることができ、この認定を左右する証拠はない。

(2) 訴外会社が本件書面をもって控訴人に対し本件設備に係る造作買取請求権を行使したことは当事者間に争いがないところ、控訴人は、本件放棄特約により訴外会社が右買取請求権を行使する余地がないと主張するが、本件賃貸借契約では、前記認定のとおり、訴外会社が本件建物を賃借する前の状態では本件建物を「建物」として使用することが不可能であって、賃貸人である控訴人がこれを第三者に建物として賃貸するためには、本来、本件建物を「建物」として使用するのに必要な設備を付加する必要があったこと、訴外会社が本件設備を付加したのも、本件賃貸借契約では、賃借人である訴外会社が本件建物を自動車販売用のショールーム及び事務所として使用するのに必要な設備を付加することが予定されていたからであったこと、控訴人は、本件賃貸借契約が終了した後、訴外会社から本件設備が付加された状態で本件建物の明渡しを受けたが、弁論の全趣旨によれば、その後、右の状態で本件建物を第三者に賃貸していることが認められることなどを総合すれば、訴外会社が本件賃貸借契約が終了した際に本件設備を収去して本件建物をコンクリート又はブロックが剥き出しの原状に回復して返還しなければならないとすることに特に合理的な理由はなく、本件放棄特約は、訴外会社のみに不利益を及ぼすものであって、借家法六条に違反し、無効というべきである。

(3) そこで、本件設備の買取代金につき検討すると、当審における鑑定の結果によれば、本件賃貸借契約が終了した平成二年一二月二七日時点の本件設備の時価は一一二〇万円であったというのであるが、一二五〇万円を要した本件設備の工事が完成してから造作買取請求権が行使されるまでの間に二か月余しか経過していないことを考慮すると、右鑑定結果を首肯し得ないものではない。

しかしながら、本件設備は本件建物の用途が自動車販売用のショールームを兼ねる事務所であったため、被控訴人主張の壁の鏡張り工事も行われているところ、これは一般的な賃貸用の事務所として必要に乏しい造作であったと認められること、本件設備の工事代金には、前掲甲第七号証によると、コンクリート及びブロックが剥き出しの状態であった本件建物に本件設備を付加するためブロックの解体及びコンクリートのハツリに要した工事費用も含まれていると認められること、建物の造作は、建物に付加された段階で、造作それ自体の購入価額から相当程度に価値を減じるのが通常であることなどを考慮すると、右鑑定結果は本件設備の時価として高額に過ぎ、本件設備の工事費用であった一二五〇万円から相当程度の減額をした価額をもって買取代金を認定するのが相当であって、本件においては、右工事代金から三割を減じた八七五万円を本件設備の買取代金と認めるのが相当というべきである。

この点につき、控訴人提出の乙第四号証には、本件設備の時価は三八四万円相当であるとの記載があるが、前掲甲第二四号証、同第二五号証に照らして、乙第四号証を採用することはできず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  敷金返還債権

(1) 訴外会社が控訴人に対し敷金として四五〇万円を差し入れたことは当事者間に争いがないところ、被控訴人は、訴外会社が控訴人に対し更に五六万円を差し入れたと主張するが、本件建物の賃貸面積の増加(別紙物件目録記載のとおり約一割の増加である。)に伴い、賃料等が増額され(一割の増額である。)、これに伴い、敷金も追加されることになったが、その追加されることになった敷金の額が五六万円であったという根拠もなく(控訴人主張の当初の敷金の一割の増加となる四五万円と認めるのが合理的である。)、その支払の事実を認めるに足る証拠はないから、本件賃貸借契約で訴外会社が控訴人に差し入れた敷金として認めることができるのは四五〇万円にとどまる。

(2) 本件賃貸借契約が控訴人及び訴外会社の合意による解除によって平成二年一二月二七日をもって終了したこと、そして、遅くとも平成三年一月九日までには訴外会社が控訴人に本件建物を明け渡したことは前記認定のとおりであるところ、建物の賃貸借契約に基づき差し入れられた敷金は、賃貸借契約が終了した後、建物の明渡義務が履行されるまでの間に生ずる賃料相当の損害金債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対し取得する一切の債権を担保するものであって、建物の明渡時点において、右被担保債権を控除して残額がある場合に、その数額につき具体的に発生するものであるから、控訴人は、訴外会社から本件建物の明渡しを受けた右の時点で、敷金から訴外会社が控訴人に支払うべき賃料等を控除して、その残金を返還すべきものであった。

(3) この点につき、控訴人は、訴外会社に対する抗弁3記載の各債権との相殺を主張するところ、その主張に係る各債権は、本来、これが存在するとすれば、敷金で担保されるべき債権であると認められるので、控訴人の右主張は、敷金からまず右債権を控除し、次に右債権に残余が生ずる場合には、これと本件設備の買取代金との相殺を主張する趣旨に理解すべきものである。

(4) そこで、以下、控訴人が訴外会社に対し返還しなければならなかった敷金の残額について検討する。

① 敷金償却分

前掲甲第一号証によれば、本件賃貸借契約では、賃貸借契約が終了した場合には、賃料の三か月分相当額を敷金から償却することができる旨の約定があることが認められる。

しかし、右償却額は、右認定のとおり、賃料のみを基準として計算すべきものであって、消費税までも基準として計算すべきものとは解されないから、その額は賃料(平成二年九月分以降の四九万五〇〇〇円)の三か月分の一四八万五〇〇〇円となる。

② 違約金

本件賃貸借契約では、賃借人が期間内に解約を申し入れる場合には、六か月前に予告するか、その予告に代えて六か月分の賃料及び共益費を支払う旨の約定があったことは前記認定のとおりであるが、合意解除による場合には、訴外会社が控訴人に右約定に係る違約金を支払うべき理由はなく、訴外会社に対し賃料等の六か月分を請求することができたとの控訴人の主張は理由がない。

もっとも、訴外会社が本件建物を控訴人に明け渡したのは、本件賃貸借契約が合意解除された平成二年一二月二七日ではなく、前記認定の平成三年一月九日であったから、訴外会社は、平成二年一二月二八日から同三年一月九日まで一三日間の賃料相当損害金又は不当利得金として賃料及び共益費の日数割合に応じた二三万五二五八円を控訴人に支払うべきものであって、控訴人が訴外会社に対し違約金を請求することができたとの右主張は、右認定の使用料相当損害金又は不当利得金の限度でこれを善解して採用するのが相当である。

③ 未払賃料等

訴外会社が平成二年一一月分以降の賃料等の支払を怠っていることは前記認定のとおりであるところ、本件賃貸借契約は同年一二月二七日に合意解除されているのであるから、同年一一月一日から同年一二月二七日までの未払賃料等は、一一月分につき五七万七八三〇円、一二月分につき五二万〇〇四七円(前掲甲第一号証によれば、一か月に満たない期間の賃料等は一か月を三〇日として日割計算する旨の約定があるので、これに従う。)、以上合計一〇九万七八七七円となる。

そして、前掲甲第一号証によれば、本件賃貸借契約においては、訴外会社が賃料その他の債務の支払を怠るときは、控訴人に対し、年一八パーセントの割合による遅延損害金を支払うべきものと約定されているところ(但し、消費税については、その支払を遅滞したとしても、控訴人に遅延損害金を支払うべき理由がないので、右約定も消費税を遅延損害金の対象から除く趣旨であると解される。)、訴外会社は、前記認定のとおり、平成二年一二月五日に未払賃料等を提供したが、控訴人から受領を拒絶されたのであるから、その後は遅延損害金を支払うべき責任がなく、平成二年一一月分の賃料等(消費税を除く。)につき、支払期の翌日である同年一〇月二六日から同年一二月五日までの遅延損害金は一万一三四二円、同年一二月分(但し、同月二七日までの賃料及び共益費の合計五〇万四九〇〇円)につき、同年一一月二六日から同年一二月五日までの遅延損害金は二四八九円、以上合計一万三八三一円となる。

(5) 以上によれば、訴外会社が控訴人に返還を求めることができた敷金は差し入れた四五〇万円から前記①の一四八万五〇〇〇円、同②の二三万五二五八円、同③の一〇九万七八七七円及び一万三八三一円を合計した二八三万一九六六円を控除した残額の一六六万八〇三四円と認めることができる。

2  本件債権譲渡と本件譲渡禁止特約の対抗関係

(一)  前掲甲第四号証の一によれば、訴外会社が被控訴人に対して本件設備の買取代金債権及び敷金返還債権を譲渡した事実(本件債権譲渡)が認められ、訴外会社が控訴人に対して本件債権譲渡の通知をしたことは当事者間に争いがなく、また、前掲第一号によれば、その効力はともかく、本件賃貸借契約には、本件譲渡禁止特約が付されていたことが認められる。

(二)  買取代金債権の対抗関係

そこで、本件譲渡禁止特約の対抗関係を検討すると、本件債権譲渡の対象となった前記各債権のうち、本件設備の買取代金債権については、本件賃貸借契約には、前記認定のとおり、本件放棄特約が付されていたのであるから、その放棄を前提とした買取代金債権につき、更に譲渡禁止特約が付されていたと解することはできない。

本件設備の買取代金債権は、本件訴訟において本件放棄特約が効力を生じないと判断された結果として発生が認められるものであるから、当該債権についてまで本件譲渡禁止特約の効力が及んでいたとの控訴人の主張は失当というほかなく、被控訴人は、本件譲渡禁止特約の効力を検討するまでもなく、少なくとも本件設備の買取代金債権の取得を控訴人に対抗することができるものというべきである。

(三)  敷金返還債権の対抗関係

次に、敷金返還債権につき検討すると、本件譲渡禁止特約は、本件賃貸借契約書中に当該特約の占める位置及びその文言からして、当事者間の信頼関係を必要する賃貸借契約が存続していることを前提とした約定であって、賃貸借契約が終了した後まで効力を有するものとは解されない。

しかるところ、本件債権譲渡は、本件賃貸借契約が終了した後、その対象となった前記各債権を譲渡したものであって、敷金返還債権も既に具体的に発生していた残額の返還債権を譲渡したものであるから、本件譲渡禁止特約によって、その譲渡が制限されることはなく、被控訴人の本件譲渡禁止特約に対する認識の有無及び過失の有無・程度を検討するまでもなく、控訴人が被控訴人に対し敷金返還債権の譲渡が禁止されていた旨を対抗する余地はないものというべきである。

3  本件附帯請求の当否

(一)  被控訴人は、訴外会社から本件債権譲渡を受けた本件設備の買取代金債権及び敷金返還債権につき、前記認定の元本額のほか、これに対する訴外会社の本件書面が控訴人に到達した日の翌日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるところ、訴外会社の被控訴人に対する本件債権譲渡は、その対象を元本額に限定したものではなく、遅延損害金を含め、これを譲渡したものと認められるので、訴外会社の附帯請求それ自体を失当ということはできない。

(二)  買取代金に対する遅延損害金

本件設備の買取代金は、訴外会社が控訴人に対し本件設備に係る造作買取請求権を行使した結果として発生する売買代金にほかならないから、買主である控訴人は、売主である訴外会社から本件設備の引渡を受けるのと引換えに買取代金を支払えば足り、その引渡を受ける前に買取代金を支払わなかったとしても、履行遅滞の責任を負うものではない。

しかるところ、控訴人が訴外会社から本件設備の引渡を受けたのは本件建物の明渡しを受けた時点であったと認められるから、本件設備の買取代金に対する遅延損害金の請求は本件建物の明渡しの日の翌日である平成三年一月一〇日からその支払を求める限度で理由があるにとどまり、その余は失当というべきである。

(三)  敷金残金に対する遅延損害金

訴外会社は、前記認定のとおり、本件書面による本件賃貸借契約の合意解除の承諾と同時に敷金の返還を催告しているところ、建物の賃貸借契約における敷金は、前示のとおり、賃貸借契約が終了した後、建物の明渡時点における賃貸人の賃借人に対する賃料等を控除した結果として具体的に発生するものであるから、控訴人が訴外会社から本件建物の明渡しを受ける以前に敷金を返還すべき義務はないことは明らかである。

しかるところ、訴外会社は、前記認定のとおり、遅くとも平成三年一月九日には本件建物を明け渡し、かつ、その時点で敷金から前記認定の敷金償却分、未払賃料等及び賃料相当損害金を控除することは可能であったと認められるので(この点に関する前記認定を覆す証拠はない。)、控訴人は、その翌日である平成三年一月一〇日から完済に至るまで、敷金残金に対する年六分の割合による遅延損害金を支払うべきものであったと認められるから、敷金残金に関する附帯請求は、右以降の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は失当というべきである。

三  以上説示したとおりであるから、被控訴人が控訴人に対し本件債権譲渡に係る前記各債権の支払を求める本訴請求は、本件設備の買取代金八七五万円と敷金残金一六六万八〇三四円との合計一〇四一万八〇三四円及びこれに対する平成三年一月一〇日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容すべきものであるが、これを超える部分は失当として棄却すべきものである。

よって、原判決中被控訴人の本訴請求を右説示に係る一〇四一万八〇三四円及びこれに対する平成三年一月一〇日から完済に至るまで年六分の割合による金員を超えて認容した部分を取り消し、右部分に係る被控訴人の請求を棄却し、その余の部分は相当であるから、控訴人のその余の本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官柴田保幸 裁判官伊藤紘基 裁判官滝澤孝臣)

別紙物件目録

東京都大田区中馬込三丁目二七番四号所在

鉄筋コンクリート造り六階建て建物(ジュネス馬込)のうち

一階店舗部分

床面積 契約時 100.16平方メートル

変更後 110.08平方メートル

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